連続して8回シリーズ!!
「寺尾江里子」ってどんな人?
自己紹介の意味も込めて、私の生い立ちから私が整理収納術のお仕事をするようになったきっかけ、そしてミニマム収納術誕生までのストーリーをご紹介したいと思います。
私がお伝えするミニマム収納術は「捨てるモノ探し」からの脱却」「本当に必要なモノだけを選び取る」
これにより自分の生活がシンプルで楽になり二度とリバウンドしない、一生片付けに悩まなくていい部屋になるのです。安心してください。
私だって最初はとっても散らかし魔でした。そんな誕生から高校生までのお話を今日はさせていただきますね。
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1976年に横浜市で生まれました。私が生まれた時、父はサラリーマンでした。
転勤のため横浜の社宅に住んでいて、母は専業主婦でした。後に、父が起業、独立し母も父の会社で働き始めます。
4つ年上の兄と3つ年上の姉。3人兄姉の末っ子として生まれた私は今では信じられないほどのんびりな性格でした。
昔の私を形容するのにぴったりなキャラクター、それは「ちびまる子ちゃん」。ちょっとぐずで、だらしなくて、面倒くさがりで運動も勉強もイマイチ。優秀なお姉ちゃんにずっと叱られている、そうあの感じがまさにそっくりでした。アニメちびまる子ちゃんを見たことがある人は分かると思いますが、お姉ちゃんと一緒の部屋でいつもまる子が部屋を散らかし、「もう、まる子!早く片付けてよ!」とお姉ちゃんに怒られている姿、あれはまさに当時の私自身でした。姉が泣いて母親に「江里子と一緒の部屋、やだ!!」と訴えたくらい(笑)
忘れ物の常習犯、朝は寝坊して登校するのに駆け足!そんなダメ子の私でしたが成長と共に少しずつ変わってきました。高校に入った頃、兄がひとり暮らしを始めて家を出たのを期にそれまで姉と一緒だった部屋から、一人部屋になりました。(兄が使っていた部屋を私がもらいました)それまで姉に嫌がられるほどだらしなかった私が、はじめて自分の城(部屋)を持ったとき、どうせなら自分好みの素敵な部屋にしたい!と思いました。そこから自分の部屋をいかに快適に、キレイにするかの工夫が始まりました。
またこのころ、共働きの両親が買ったままつい賞味期限を切らせてしまう冷蔵庫の不要品処分を定期的に行っていました。たくさんの食品が詰め込まれた冷蔵庫から、賞味期限切れの食品を大量に処分し、その後のスッキリした冷蔵庫を見て自己満足。冷蔵庫が見違えるほどキレイになると、母もとても喜んでくれました。きっとそれも嬉しかったからでしょう。冷蔵庫の整理は、いつしか自分の役割として認識していきました。今思えばこの「賞味期限が切れたら捨てる」、という明確な基準があったから整理も上手く進んでいたのだと思います。このことも整理収納をお仕事にするきっかけになったのかもしれません。
さて、次回は転機になったアメリカ生活のお話をしたいと思います。お楽しみに~!!